なぜ私の次の作品シリーズに「感謝」の名が付けられたのか

 

            私たちの母親が私たちの食事を作るとき、いかに簡素なものであれ、常に愛情が込められ、私たちはいつもそれを世界で一番美味しいのものして味わいました。すなわち、彼女らの料理には、子供たちへの愛情という最高の調味料が不足することがなかったからです。

            この例に基づき、私は 私たちの行うすべての事柄に愛情を基礎とする真心が込められているならば、それは周囲の人たちにその感情を呼び覚まし伝えて行く変化を誘う行為となり、大きな善意の輪を創り出すものと信じております。

            私は何時も「見えざる物」を信じておりました。ただ単に「望み、欲する」ことは信じません。何故ならば、望むだけならば誰でも望むからです。私は「である」を信じます。何故ならば私たちが感謝に満ちた人間であれば、私たちの全ての行為がその感情を他人に伝えることを可能にするからです。

私の場合、一人の画家として、自分の作品を通し、感謝の念を伝えようとしましても、私の内にその感情がなければ、特に私が全てに感謝する人間でなければ、無駄なことでしょう。繰り返しますが、「望む」ことは誰でも望めます。しかし、「である」ことはその求める感情をを深める努力と体験を必要とします。このようにして、その努力の結果が、母親の調理した食物であれ、医師の施術行為であれ、または声楽家の歌唱であれ、そうして私の場合私の描く絵画であれ、私たちの内に本当の感謝の念がなければ例え技術的に完璧な作品を仕上げたとしても、感情的には空虚なものとなるでしょう。私はすべての画家が技法を学ぶだけではなく、人間的な向上を常に求めることが本質であると思います。何故ならば彼らの成す全てのことは、善かれ悪しかれ内なるエネルギーを秘めているからです。 そこが、単なる一点の絵画と、何かを伝える一点の絵画との違いです。

            又それが私の次回展示会の名称「感謝」の理由です。私は今まで生きてきた年月の間に全ての物と全ての人に感謝する心を向上させ、実践しようと努めてきました。一点の絵画とは単に画布に盛られた鮮やかな色彩や四十年以上の日課作業に培われた技法のみではありません。一点の絵画とはそれ以上のものなのです。一点の絵画に善もしくは悪のエネルギーが込められる可能性があり、私たちがその作品の前に立ち、そのエネルギーを受信することを考えますと、責任は非常に大きなものです(見えざる物)。疑いもなくそのエネルギーはその作品を創り出した画家のものであり、そこに私たちが常に人間的向上を求め、周囲の人たちに善きエネルギーを残し、伝えて行くことに最高の重要性があるのです。

 

クボ・カルロス

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